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【同時進行の向山型国語5年(教育出版)】
「はる」(谷川俊太郎)
TOSSシグナス/札幌向山型国語研究会 田上大輔
作成日:2006年7月 6日
更新日:2006年7月11日
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【授業記録】
第 1時 7月4日(火) 「視写・音読練習」
- 詩を書く単元だが,時間に余裕があるので「詩」の授業をすることにした。
「はる」(谷川俊太郎)である。
原実践は向山洋一氏の『学級集団形成の法則と実践 学級通信アチャラ』(明治図書)だ。
- 原実践とあるが,『アチャラ』には「話者がどこからどのように見ているのかを授業したのである。」としか書かれていない。
以前見た,谷先生の追試記録を参考に授業することにした。
- まずは視写。
黒板に詩を書き,写させる。
- その後ひたすら音読。
暗唱できるくらい読む。
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第 2時 7月6日(木) 「絵に描きなさい」
- 音読からスタート。
- 「この詩の中に何が見えますか。」
と尋ねる。
ノートに書かせると, 「はな」「くも」「そら」「はる」「かみさま」という意見が出た。
それぞれ見えるかどうかを聞き, あとで扱うことにして次へ進んだ。
- 次に
「はな、くも、そらと、話者(語り手)の位置を絵に描きなさい」
と指示を出した。
描けた子にノートを持ってこさせ,典型例を板書させる。
5種類の意見が出た。
明らかに違うものがあり,これらを潰していって2つにしぼっていくはずが,思惑と違ったほうに進みそうな気配。
ここで時間になってしまったが,明日が心配…。
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第 3時 7月7日(金) 「はな,くも,そらの並び方」
- 「はな、くも、そらと、話者(語り手)の位置を絵に描きなさい」
という問いに対して5種類の意見が出た。
前回,「これだけは違う」というものを選ばせたが,更に混乱しそうな様子だった。
論点が定まっていなかったのである。
- そこで,
「とりあえず,話者の位置を抜かして考えます。はな,くも,そらの並び方でこれはおかしいというものを1つ選びなさい。」
と指示。
ノートに理由と一緒に書かせ,発表。
下から順に「はな,そら,くも」となっていた2つが消される。
これで,意見は3つになった。
1)話者が下から見ているもの
2)話者が横(くものあたり)から見ているもの
3)話者が上から見ているもの
である。
- 最後に,上・中・下のどれか現時点での自分の考えをノートに書かせて終了。
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第 4時 7月10日(月) 「話者はどこから見ているのか」
- 前時に書かせた「話者は上・中・下のどこから見ているのか。」という考えを発表させる。(上派14名,中派3名,下派4名)
どれか違うものを1つ選ばせると,「中」が消された。
中間から見ているという意見からは,言葉を根拠にしたものがなかった。
- これで,「上から見ているのか,下から見ているのか。」ということにしぼられた。
指名なし討論。
上から派は,
「はなをこえて,くもをこえて~とあるから」
「かみさまと話をするのは空でなければ」
下から派は,
「のぼってゆけるだから,上にいたんだったらのぼっていったになる。」
などの意見が出てくる。
- 討論の中で,1連目について話題になったので,1連目を取り上げ,省略されている部分があることを説明し,省略されている言葉を考えさせた。
はなをこえ
しろいくもが□
くもをこえて
ふかいそらが□
の□の部分である。
子どもからは,「見えてくる」「ある」「見える」が出てきた。
それぞれの場合について,上から見ていることになるのか,下から見ていることになるのかを考えさせた。
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第 5時 7月10日(月) 「ミニ評論文」
- この日2時間目の国語。
上から派をゆさぶっていく。
「省略部分に入る言葉を考えると下から見ていることになるのではないか?」
と問いかける。
- 「神様は本当に見えているのですか,見えていないのですか」
と尋ね,ノートにどちらか書かせた。
見えている派が6名,見えていない派が14名。
どうしてそう考えたか近くの子に説明させる。
そのあと,全体に向かって指名なし発表。
もう一度聞くと,見えている派が3名,見えていない派が20名に変化。
- 続いて
「話者は動いていますか,動いていませんか。」
と尋ね,ノートにどちらか書かせた。
動いている派が10名,動いていない派が13名。
先ほどと同じように,どうしてそう考えたか近くの子に説明させる。
そのあと,全体に向かって指名なし発表。
- 最後にミニ評論文を書かせた。
簡単に書き方を示してである。
いくつか紹介する。
【上から見ている派】8名
話者は,上から見ていると思います。
理由は,詩の中に,はなをこえ くもをこえ そらをこえ わたしはいつまでものぼってゆける と書いているからです。
それに,かみさまとしずかなはなしをした と書いてあります。
詩の中にこのようなことが書いてあるということは,上で見ているんだと思います。
もし,下から見ているなら,詩の中に,はなをこえ くもをこえ そらをこえ とは書いていないはずです。
それに,かみさまとしずかなはなしをしたということは上にいるのだと思います。
だから,話者は,上から見ているのです。(Oさん)
話者は上から見ている。なぜならはなをこえ,くもをこえ,そらをこえと書いているのでもう花とくもと空をこえていると思うし,のぼっていないなら,はなをこえ,くもをこえ,そらをこえとは書かないはずだ。
それにもしのぼっていないのなら神様と話ができるわけがないと思う。
神様と話をしていたならはなもくももそらもこえていると思う。
なぜなら空をこえないと神様は空の上にいるから神様としずかな話をしたのならもう上にいったと思います。
下から見ている人にしつもんです。もし下にいるのならばはなをこえ,くもをこえ,そらをこえのようにきめつけたようには言わないと思うし,もし下だったら神様と話ができるはずがない。
だから話者がいるところは,下ではなく上だと思います。(N君)
話者は,上にいると思います。
一連目は,のぼっているとちゅうだと思う。
それで,いろいろけしきが見えていると思います。
二連目は,ちょっととまって,わたしはいつまでものぼってゆけると,言っていると思います。
三連目は,かみさまと話をしたよと話者が教えてくれていると思います。
もし,下なら,三連目はいらないと思います。
わたしはいつまでものぼってゆけるは,いっけん,ゆけるだから下にいるように見えるんだけど,「いつまでも」だから違うと思います。
例えば,もし下なら
「わたしはあの山をのぼってゆける」
か,
「わたしは上までのぼってゆける」
だと思います。
いつまでもっていうのは,おかしいと思います。
だから,話者は上にいると思います。(Tさん)
【下から見ている派】17名
話者は,下から見ている。
理由のまず一つ目は,下から見ているのほとんどの人がいうように,想像しているんだと思う。
二つ目に,話者が想像しながら(はなをこえ くもをこえ そらをこえ わたしはいつまでものぼってゆける と かみさまとしずかなはなしをした こと)はな,くも,そらをながめている。
三つ目に,話者が上から見ているなら『のぼってゆける』んじゃなくて,『のぼった』とか『のぼる』とかでもいいはずだ。それにかみさまとはなしをするのはむりのようなきがする。なぜかというと,かみさまは,ものすごく位がたかいと思うからだ。しかも,どんどんのぼっていってたら,かみさまとしずかに話ができないだろう。
それから,話者は,動いていないと思う。理由は話者が動いていたら,かみさまと,しずかに話ができないだろう。(この理由はすこし理由の三つ目につながる)
この理由(四つの理由)で,話者は,下から見ていると思う。(私は,話者が上から見ているから,下から見ているに変えた) (Kさん)
私は,話者が下から見ていると思います。
理由は,詩に書いている事が全部想像だと思うからです。
それに,「のぼってゆける」という所ががあるからです。
「のぼってゆける」という事は,まだ登っていないととれるし,目線はやっぱり上(向き)だと思うからです。
それに,「しろいくもが・ふかいそらが」という所の下に文字を入れると,全部下から見ている事になるからです。
「はなをこえ くもをこえ …」というのは,花をこえ雲をこえ空をこえどこまでも登っていきたいという話者の気持ちだと思います。
もし上だとしたら,目線が下(向き)って事で,「わたしはいつまでものぼってゆける」というのはおかしいと思います。上から見ているというのなら「わたしはいつまでものぼってゆける」なんて書き方をしないと思うからです。(Tさん)
話者は,下から見ている。
なぜなら,わたしはいつまでものぼってゆけるの,ゆけるは,まだのぼってないということだ。
しかも,もし,のぼっていたら,しろいくもが見えてくる等の言葉がつかないはずだ。
話者は,詩の中で,心の中で,はなをこえ,くもをこえ,そらをこえて,かみさまと話をしたんだと思う。
もし,のぼっていたら,わたしはいつまでものぼってゆけるではなく,わたしはどこまでものぼっていったなど,~いったを,さいごに入れて,完全にいったぞーみたいなかんじにすると思う。
それに,わたしはいつまでものぼってゆけるだと,まだ,のぼっていないで,いきたいなーとか,空のむこうへいきたい!とかの願いがこもっていると思う。
だから,話者は下にいると思う。(Iさん)
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